かっこいい大人になりたい。

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村上春樹を英語で読んでみた

私は村上春樹のファンです。

俗にいう「村上主義者」というやつです。

 

初めて村上春樹を読んだのは当時大学3年生の2011年の年末で,村上春樹の代表作「ノルウェイの森」でした。きっかけは確か社会人の方と飲んでいて「今の学生は村上春樹とか読まないよね〜」的な話がきっかけでいわゆる教養的な「村上春樹読んでる俺かっこいい」的な軽い気持ちで読み出したんですが,読み終えた後,妙にしっくりきたんですよね。

何かの本で読んだ記憶があるんですが,村上春樹さん自身も「10人に1人に気に入ってもらえればいい」とおっしゃており,まさに自分はその10人に1人だったようで,そこからは村上主義者への道は早かったですね。

長編小説読んで,短編小説読んで,エッセイ読んで,翻訳された小説(グレート・ギャツビーキャッチャー・イン・ザ・ライなど)読んで。

読むもの無くなったら同じ本読み直して。(今まで一番読んだのはおそらく「風の歌を聴け」30回以上は読んだはず)

 

そしていよいよ「英語で読んでみようかな」と。これもまた「英語でHARUKI MURAKAMI 読む自分カッコいい」的な。「ナチュラルに英語勉強できていいんじゃない」的な。やっぱり英語作品一発目は「NORWEGIAN WOOD」だろうということで読み始めたんですけど,これが面白かった。

 

去年の末から読み出して今日まで空いた時間でこそこそ読んでたんですけど,ほんとに楽しかった。久々に本を読むためにつくる時間にわくわくしながら,夢中で読んでました。内容は分かっているのに,まるで新作を読んでいるような新鮮な気持ちで読むことが出来ましたね。

 

また,日本語と違って一文一文頭で訳そうとしながら読むんで,内容が自然と深く入ってくるんですよね。そこがまた良かった。

 

よく「村上春樹意味わからん」って聞きますけど,意味なんてなくていいんですよ。

 

こと「NORWEGIAN WOOD」に関して言えば,自分を主人公に投影して,直子ちゃんをこんなにも深く愛しながらも,緑ちゃんを好きになってしまう二股関係の純愛を楽しめばいいんですよ!

 

そして,こんなに直子ちゃんを愛していながらも直子ちゃんは自分を愛してくれてさえいないという虚しさを味わえばいいんですよ!!

 

そして,そして自分は本当に緑ちゃんを手に入れることが出来たのかと悶々としながら,余韻を楽しめばいいんですよ!!!

 

とまぁ,直子ちゃんと緑ちゃんのどちらにしようかワクワクしながら(ときにはムラムラしながら)読む反面,読んでてとても落ち着くんですよね。なんでだろうとふと考えて気になったのが以下の文章。

 

”Death exists, not as the opposite but as a part of life."

 

「死は生の対極ではなく,その一部として存在する。」

 

まさにこれ「禅の精神」ですよね。

 

「禅には死を終わりと捉える意識はなく,また,怖いものでも逃れたいものでもないし,どうせ死んでしまうのだからという投げやりでもない。いつでも死ねるという血気盛んな思い上がりでもない。禅では死さえも,いつ何どき起こっても大丈夫という延長にある。死と生というものを一緒くたに捉えるのが,そのまま禅の深みである。」

                      (齋藤孝 著「孤独のチカラ」より)

 

また同じ本の中で齋藤先生はこうも言っています。

 

「自分がこの世に存在していることを,あるいは存在している意義を意識化できるのは人間の特性だ。その特殊性はうまくすると大きな快楽の源泉になる。動物にはない快楽、その一種の心地よさを求めたのが禅である。」

 

ノルウェイの森がベストセラーになったのは,みんなこの伝統的な日本文化の根源にある「禅の精神」に触れたがっていたんじゃないのかなぁ」とか思ったりして,村上主義者はこうして村上作品に大して過大な妄想を繰り広げるのでした。

 

 

Norwegian Wood (Vintage International)

Norwegian Wood (Vintage International)

 

 

そして調べて知ったんですけど,村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」が「ピンボール」とともに英訳されて出版されたみたいですね。「風の歌」好きとしてはとてもうれしいです。さっそくアマゾンでぽちろう。

 

Wind/Pinball: Two novels

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